2026年9月1日
スポーツ指導者に求められるものは何でしょうか。競技に関する知識や技術は、もちろん必要です。しかし、それだけで十分なのでしょうか。ここでは、日本のスポーツ界の変化を振り返りながら、身体運動を通して学ぶことの価値と、これからの指導者の役割について考えてみたいと思います。
1.日本スポーツ界の転換点
日本のスポーツ界には、暴力や上意下達の組織風土が根強く残されてきました。理論を学ばず、自らの経験だけに頼った指導や、指導者が自身の実績のためにプレーヤーを扱うこともありました。そこでは、プレーヤーの成長や幸福よりも、指導者(コーチ)の考えや権威、実績が優先される。いわば「コーチズファースト」です。
そのような日本のスポーツ界にとって、大きな転換点となったのが、2012年に高校の部活動で指導者の体罰(暴力)により、生徒が自ら命を絶つに至った事件です。この事件を契機に、「スポーツ指導者はいかにあるべきか」が改めて問われ、指導者に求められる資質・能力についての議論が本格化しました。
2011年の「スポーツ宣言日本」の採択に続き、2013年には文部科学大臣がスポーツ界における暴力の根絶に言及し、文部科学省の有識者会議でも今後の指導者のあり方が検討されました。さらに、2019年には日本スポーツ協会の公認スポーツ指導者制度が大幅に改定され、指導者の資質・能力の向上に向けた改革が進みました。
こうした改革を通して広がったのが、「コーチズファースト」から「プレーヤーズファースト」への転換です。スポーツは誰のためにあるのか。指導者ではなく、プレーヤーの活躍や成長のためにある、という考え方です。
しかし、プレーヤーを第一に考えるあまり、指導者が自分自身や家族を犠牲にしてしまうという、新たな問題も見えてきました。プレーヤーの幸福のためなら、周囲の誰かが不幸になってもよいのでしょうか。もちろん、そうではないはずです。そこで重視されるようになったのが、「プレーヤーズセンタード」という考え方です。プレーヤーを中心に据えながら、プレーヤーを取り巻くアントラージュを含め、すべての人々のWell-being(良好で幸福な状態)を目指します。日本スポーツ協会は、この考え方を指導者養成の要として推進しています。
この十数年で、スポーツ指導者に求められる考え方や資質・能力は、大きく変わりました。そして、これからも変わり続けるでしょう。だからこそ指導者は、その時代の要請や目の前のプレーヤーに応じた指導ができるよう、学び続けなければなりません。指導者もまた、学び続ける存在なのだと思います。
2.身体運動を通して学ぶことの価値
では、プレーヤーはスポーツを通して何を学ぶのでしょうか。競技スポーツでは、パフォーマンスを高めるために、新たな動きを習得したり、すでに身につけている動きを修正したりします。自らの身体と向き合い、よりよい動きを考え、実際に動いて確かめる。そうして失敗と修正を繰り返しながら、その時々の最適解を探り続けています。
私は、身体を通して試行錯誤を重ね、パフォーマンスを高めようとする営みそのものが、「人間らしさ」を育むことにつながると考えています。このプロセスは、いつもきれいなものとは限りません。思うようにできず、もがき苦しむこともあります。悔しくて涙を流すこともあります。一方で、努力が実を結び、自分の身体を前より少し深く理解できたり、仲間と喜び合ったりする瞬間もあります。スポーツでは、動き方だけでなく、課題に向き合う力や粘り強さ、多様な感情との向き合い方、それらを他者と共有することも学びます。このプロセスは、野生動物の生存に根差した行動とは異なる、人間ならではの営みです。
AIが急速に発展し、タイムパフォーマンスやコストパフォーマンスが重視される現代では、できるだけ短時間で正解や成果を得たいものです。けれども、身体運動の学習は、そんなに都合よくはいきません。近道が見つからず、自らの身体と向き合い、考え、工夫し、失敗と修正を繰り返すこともあります。だからこそ、時間をかけて自分自身が変化していく経験には、現代において、これまで以上に大きな意味があるのではないでしょうか。
スポーツでは、パフォーマンスが高まったという結果だけでなく、そこに至るまでのプロセスも大切です。何を学び、どのように考え、どんな試行錯誤を経たのか。その経験を、次の課題にどう生かすのか。プレーヤー自身がこのプロセスに主体的に関わることで、スポーツにおける学びは、その場限りではなく、将来にもつながるものになります。
3.時代が変わっても変わらない指導者の役割
古くから、『授人以魚 不如授人以漁』という格言があります。「人に魚を与えれば一日食べることができるが、魚の釣り方を教えれば一生食べていくことができる」という意味です。目の前の人に魚を与えるのか、それとも、自ら魚を得られるように釣り方を教えるのか。スポーツ指導にも通じる問いだと思います。
指導者が正解を教えれば、プレーヤーは目の前の課題を解決できるかもしれません。指導者としても、つい答えを言いたくなるものです。しかし、それを繰り返していれば、プレーヤーは指導者の指示がなければ動けなくなるかもしれません。大切なのは、単に正解を教えることではなく、最終的には、プレーヤー自身が課題を見つけ、考え、試行錯誤し、解決できるようにすることです。言い換えれば、指導者がいなくてもできることを、少しずつ増やしていくことです。
もちろん、競技スポーツの指導者には、プレーヤーの競技力を高め、結果につなげることが求められます。結果は大切です。しかし、優れた結果さえ残せば、そこに至るまでの指導やプロセスも正しかったことになるのでしょうか。そのような風潮は、今なおスポーツ界には根付いていることを感じます。競技結果によって、プレーヤーの主体性やWell-beingを損なうような指導まで正当化されてはいけません。
プレーヤーが主体的に学び、成長するプロセスを大切にしながら、競技成果へとつなげていく。これが、スポーツ指導者に求められる本質的な役割だと考えています。そして、理論と実践を結びつけながら、その役割を担う人材を育てることが、高等教育機関である大学に求められる役割の一つと思っています。