山梨学院大学 スポーツ科学部

「努力すれば夢は必ずかなう」?

2026年2月1日

笠野 英弘

「努力すれば夢は必ずかなう!」「あきらめずに努力していれば必ず成功する!」


 オリンピックやパラリンピック、ワールドカップや世界選手権等で選手が活躍したとき、テレビや新聞などのメディアはこぞってこれらの言葉を並べ、選手自身も同様の発言をするなど、競技スポーツ界ではいわば常套文句(常識)になっています。しかし、我々(特に大人)はこれらの言葉が必ずしも真実ではないことを知っています。いくら努力しても夢がかなわなかった人、優勝した人よりも努力しているのに成功しなかった人、あまり努力していないのに才能や運があって活躍できた人など、常識(といわれる言説)に反する事例を数多く見聞きしてきたと思います。それでも人々にこれらの言葉が受け入れられるのは、子どもたちや社会にそのような発信をすることで、努力が大切であるという教育的効果を期待していることが1つの理由だと考えられます。


 子どもたちや社会にとってこれらの言説が良いメッセージになる一方で、成功しなかったときや活躍できなかった場合は、「自分は努力が足りなかったから…」、「自分は途中であきらめてしまったから…」というように、自責の念を抱いてしまう人もいます。しかし、夢をかなえるためには、あるいは成功するためには、才能や運も必要です。我々はもう少しこの才能や運を認めても良いのではないでしょうか。私はドイツやブラジルのサッカーを対象に研究をしていますが、ドイツ人やブラジル人は、この才能や運の影響を大いに認めています。彼らは、「自分はプロ選手になれなかったけど、才能が少し足りなかったんだ」、「自分は成功を収めることはできなかったけど、運がなかったんだ」と言います。このことは、夢がかなわなかった理由や成功できなかった理由を、自分自身(の努力)以外の要因(例えば才能や運を与えてくれる神様)に求めることで、自分自身を責めずに(悔いを残さずに)次のステップや次のキャリアに向かわせる方法でもあると思います。ただし、あまりにもこの考え方が過剰になると、「神様に認められた才能や運によって物事は決まるのだから、努力は必要ない」といった考えにもつながるので、「努力」と「才能や運」のバランスは大事だといえます。個人的には、「努力したからといって必ず成功するとは限らない、でも成功した人は必ず努力している」という言葉に共感を覚えます。


 ここまでの話は、比較的当たり前の話だと思いますが、この話を持ち出して何を言いたかったのかというと、強者(勝者)の論理だけでなく、弱者(敗者)の論理も大事にする必要があるということです。「努力すれば夢はかなう」といった言説は、まさに強者(勝者)の論理で、一方の「成功しなかったのは才能や運が少し足りなかったから」といった言説は弱者(敗者)の論理として捉えることができます。特に競技スポーツ界では勝敗が明確になるので、勝者と敗者が明確にわかれます。そして、本当の勝者は世界で1位になった人しかいませんので、ほとんどの人は敗者になるわけです。その際、強者(勝者)の論理だけでは、先ほど述べたような多くの負の感情を抱く人がでてきてしまいます。そこで、弱者(敗者)の論理をもう少し大切にして、自分自身を責めてしまう人を減らすことができれば、より多くの人が楽しく、幸せなスポーツ生活を送ることができるのではないでしょうか。実際に、ドイツやブラジルでは、プロ選手になれなかった人たちが、日本よりもスポーツを楽しんでいるようにみえます(写真1~5)。実は、これが私の研究をはじめたきっかけ(動機)です。


 このことは、山梨学院大学のアスリート学生にもいえることです。本学では強化育成クラブに所属して競技スポーツに取り組んでいる学生が多くいます。しかし、彼らのなかでオリンピアンやプロ選手になって活躍できる人はほんの一握りです。その多くが必死に努力しているにもかかわらず、夢をかなえることはできません。そのような多くの学生が、「自分の努力が足りなかった」と思うのではなく、「自分は努力をしたけど、才能や運が少し足りなかっただけだ」と、自分自身(の努力)をしっかりと認めて肯定的に捉えることができれば、これまでの経験を無駄にせず、むしろ経験を糧にして次のステップやキャリアに挑戦することができるのではないでしょうか。このような意味で、「努力すれば夢はかなう」といった競技スポーツ界の常識を疑ってみることも必要な気がします。このような常識を疑うことや弱者(敗者)の論理を考えるといったことが、私が専門とするスポーツ社会学の分野になります。また、自責の念を抱いてしまうのは、「努力すれば夢は必ずかなう」といった言説を生みだしている社会(構造や制度)の問題であり、その社会(構造や制度)を変革していこうとすることもスポーツ社会学の考え方になります。自責の念を抱くという極めて個人的な感情が、なぜ社会(構造や制度)の問題になるのかといえば、例えば、努力して成功した人ばかりが紹介されてそれを良しとする考えが学校教育やメディアで伝えられ続ければ…、と考えれば容易に想像できると思います。また、先ほど事例を出したようにドイツやブラジルのスポーツ実践者の考えが日本とは異なっているとすれば、それはまさに各国の社会(構造や制度)の違いによるものだと考えられると思います。このように、極めて個人的な問題(と思われること)の解決を、その背後にある社会(構造や制度)に求める力を「社会学的想像力」といいます。様々なスポーツの問題が噴出しているから今日だからこそ、この社会学的想像力をはたらかせてそれらスポーツの事象をみることで、スポーツ界をより良い方向に改革していくことができればと思っています。


 最後に、私事ではありますが、今年度末で山梨学院大学を離れることになりました。スポーツ科学部が開設されてからちょうど10年間勤めさせていただきました。これまで関係してくださった方々に、この場をお借りして心より御礼を申し上げます。つい先日、研究室を整理していたところ、私が小学校6年生のときに書いた「10年後の自分への手紙」という冊子がでてきました。そこには、10年後の自分に対して、「多分、サッカー選手になっていると思いますが、サッカーの選手になっていないとしても、今やっている仕事が楽しいと思うようになるまで頑張ってください」と書かれていました。私の小学生の頃の夢はプロサッカー選手になることでしたが、その当時から自分自身には才能がないと認めていたのかもしれません(強者からすれば、この逃げ道をつくった考え方がプロ選手になれなかった所以だ!と言われるかもしれませんが…)。ただ、ここに書かれているとおり、スポーツで活躍できなかったとしても、楽しい人生を送ることができれば、それはまた別の意味で成功といえる!?かもしれません。お陰様で、私は今の仕事を楽しいと思えています。スポーツ科学部の教職員はとても仲が良く、その仲の良さや楽しい雰囲気が学生にも伝わり、学部としてとても良い環境になっていると思っています。これからの学生のみなさん、教職員の方々、スポーツ科学部、カレッジスポーツセンター、山梨学院大学の益々の発展を祈念しています。最後までお読みくださりありがとうございました。