2025年12月1日
スマホを開けば、自分の好きな動画や情報が次々に出てきて、気づくと似た考えの人たちとだけつながっている――そんな経験はありませんか? 便利で楽しい反面、知らないうちに「違うもの」に触れる機会は減っているのかもしれません。
そんなことを考えたきっかけは・・・
先日、野外でのイベントに参加してきました。広場に軽スポーツをいくつか用意し、運営を任されました。軽スポーツのひとつとしてフリスビーを輪に通すゲーム(アキュラシー)を設定。フリスビーを投げる人、拾う人、スコアを数える人、順番を待つ人――いろいろな立場の人がいました。私は、みんなが楽しめるよう、順番待ちが少なくなるよう進行に気を配っていました。ところが、ふと見ると、いつの間にかキャッチボールを始めている人たちが! 決められたルールから少し外れて自由に遊ぶ姿を見て、運営側のあなたならどう思いますか?

「ルールを守れ!」ってイライラしますか、それとも「楽しんでいるならいいじゃん」って思いますか。「なんで設定したゲームに飽きちゃったんだろう」「どうすればもっと魅力的なゲームになったのかな」って思えたら、どうでしょう。違う感性や視点に気づけたその瞬間って、得した気分になりませんか。
実は、異なる背景や役割をもつ人との「多様な人間関係」があることで、人はゆるやかな学びや交流を通じて新しいアイデアや発想を得やすくなることが、研究でも示されています(Nicola Cangialosi, 2023)。つまり、「知らない・違う人」とつながることで、新しい学びや可能性の幅が広がるのです。また、ただ多様性を混ぜるだけでは十分ではなく、そこに「受け入れ・尊重の雰囲気」や「個人が安心して意見を出せる心理的安全性」があることが、創造性や新しい発想のためには重要だ、と指摘されています(Swati Dhir, 2025)。
この考え方は、世界のスポーツ大会でも実践されています。
つい先日、東京で開催された「デフリンピック」が閉幕しました。世界のろう・難聴アスリートが集まる国際スポーツ大会であり、日本での開催は今回が初めてでした。日本選手団は史上最多となる51個のメダルを獲得し、多くの選手が世界の舞台で躍動しました。デフリンピックでは、聴こえないアスリートが公平に競技できるよう、スタートの光の点滅など視覚的な合図が用いられています。また、補聴器などの使用は認められておらず、聴覚を使わずに競技するための独自のルールが工夫されています。
一方、昨年2024年に行われた「パラリンピック」は、肢体不自由・脳性まひ・視覚障がい・知的障がいをもったアスリートが参加する、世界最大規模の国際障がい者スポーツ大会です。障がいの種類や程度に応じてクラス分けが行われ、競技によっては用具やサポート役を活用するなど、公平な競技環境を確保する工夫がなされています。東京2020大会は新型コロナウイルス感染症の影響により1年延期され、2021年に開催されました。パラリンピックが東京で開催されるのは1964年以来2回目であり、東京は世界で唯一、パラリンピックを2度開催した都市となりました。
これらの大会にみられるルールの工夫やクラス分けは、選手がもつ特性や違いを「排除の理由」にせず、「公平に参加するための前提」と捉える考え方に基づいています。「同じであること」を求めるのではなく、「違いがあるからこそ、適切な配慮や仕組みを整える」という発想です。スポーツは、そのような実践を目に見える形で社会や私たちに示してくれます。――スポーツを通して学べる大切な視点です。

本人撮影:パリ2024パラリンピック競技大会水泳会場