山梨学院大学 スポーツ科学部

世界の舞台で日本の陸上が輝くとき~世界を見て、未来を信じ、夢に挑む~

2025年9月1日

太田 涼

 2025年9月13日(土)から21日(日)、国立競技場で「東京2025世界陸上競技選手権大会(東京2025世界陸上)」が開催されます。日本での開催は2007年大阪大会以来18年ぶり、東京では1991年以来34年ぶり。今回が日本で3度目の世界陸上となります。

 1991年の東京大会。当時大学1年生だった私は、国立競技場に2度足を運びました。忘れられないのは、カール・ルイス選手(アメリカ)が100mで9秒86の世界新記録を樹立し、金メダルを獲得した瞬間です。当時の自己ベストは10秒41。自分の記録と比べてあまりに次元が違い、その走りにただただ圧倒されました。両手を高く掲げてゴールする姿、大観衆の歓声、揺れるスタジアム。あの光景は30年以上経った今も鮮やかに蘇ります。

 さらに男子走幅跳では、ルイス選手が8m91の世界新記録を出した直後に、マイク・パウエル選手が8m95を跳び、死闘の末に金メダルを獲得しました。現在も破られていない世界記録が誕生する瞬間を、私はその場で目撃したのです。

 直近の2023年ブダペスト大会では、女子やり投の北口榛花選手が最終6投目で逆転し、66m73をマークして金メダルを獲得しました。日本女子として、マラソン以外のトラック&フィールド種目で初めての金メダルです。これまで日本陸上界はマラソンや長距離が中心でしたが、近年は競歩、短距離・リレー・ハードル、走高跳などでも世界で戦う選手が増えています。東京大会でも、多くの選手の活躍が期待されます。

 私自身も2011年から2021年まで(公財)日本陸上競技連盟の強化スタッフとして、女子短距離の強化に携わりました。ナショナルチームの合宿や海外遠征に帯同し、多い年には年間50日ほどを共に過ごしました。ときにはホテルに1週間滞在し、温泉に入っているときに「そんなに長く滞在するんですか?」と驚かれたこともあります(決して遊びではありません)。労力はかかりますが、「男子短距離が世界と戦えるのだから、女子も必ず戦える」と信じて選手と共に挑み続けました。その一方で、ナショナルチームの活動に加え、自分のチームの合宿や遠征もあり、月にわずか数日しか家にいられない時もありました。妻や子どもたちには大きな負担をかけてしまい、今振り返れば「よく支えてくれたな」と感謝と同時に反省の気持ちでいっぱいです。

 遠征で訪れた国は数えきれません。アジアでは中国・韓国・インド・シンガポール・タイ・カタール、欧米ではアメリカ・ベルギー・スイス・ドイツ・イギリスなど。ドイツ・フランクフルトで食べたソーセージの美味しさは忘れられませんし、インドでは食べられるものが限られて苦労しました。そんな一つ一つが、今では大切な思い出です。女子短距離だけでの少人数遠征では、練習・試合のサポートに加え、移動や生活面のアテンドも私の役割。準備も大変でしたが、だからこそ濃密な経験になりました。

 印象に残っている遠征は2つあります。1つはベルギーからスイスへの鉄道移動。ブリュッセルを出発し、田園風景を抜け、アルプスへと続く大自然の中を走る車窓からの景色は圧巻で、まさに「世界の車窓から」。出発前は「無事に目的地に着けるだろうか」と不安でしたが、その雄大な景色がすべてを吹き飛ばしてくれました。

 もう1つは、女子リレーチームで挑んだ「ワールドリレーズ」のために訪れたバハマ・ナッソーです。日本からはアメリカで1泊を挟み、2日かけて到着。到着後は連日の雷雨に見舞われ、晴れる日は一日もありませんでしたが、大会当日だけは雨が上がり、最高のコンディションに恵まれました。会場にはウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)の姿もあり、警備は銃を持った警察官で厳重。選手を乗せたバスはパトカーに先導され、最優先で移動できるのは良いのですが、猛スピードで走るので日本人の感覚ではヒヤヒヤしました。大会側が用意してくれたホテルは豪華そのもので、海沿いには巨大なクルーザーが並び、まさに世界中の富裕層が集うリゾート地。異世界のような環境で戦った日々は、今でも鮮烈な記憶として残っています。

ワールドリレーズ:バハマ・ナッソー2015年5月筆者撮影

さて、世界陸上に出場するには、厳しい参加標準記録(例:男子100mは10秒00)を突破するか、2019年から導入された「ワールドランキング」で上位に入る必要があります。ランキングとは、世界陸上競技連盟(World Athletics, WA)が定めるシステムで、記録や順位、大会グレードを総合評価して算出されます。例えば、国際大会で決勝に残れば高いポイントが得られ、国内大会だけでなく海外大会に出場する意義が大きいのです。日本選手が積極的に海外に挑むのは、そのためです。

 いまや日本代表を目指す選手たちは、世界基準の環境に身を置くことが当たり前になりました。数年前と比べても大きく環境は変化し、グローバルに戦うアスリートが着実に育っています。東京大会ではきっと「日本の陸上競技は世界で戦える」ことを証明してくれるでしょう。

 後期の授業は9月8日から始まり、私は教壇に立つ日々の中で観戦に行くことはできません。しかし、あの1991年に観客として胸を熱くした自分が、今は教員として学生にスポーツの魅力を伝えながら、テレビの前で再び日本代表を応援できるのは感慨深いことです。ぜひ皆さんも、日本代表はもちろん、世界中から集うアスリートたちに温かい声援をお願いします。

アジア選手権:カタール・ドーハ2019年4月筆者撮影