山梨学院大学 スポーツ科学部

運動・スポーツは身体に悪い!?

2025年4月1日

小山 勝弘

 「運動・スポーツは身体に悪い」と言われるのを聞いたことはありますか?私たちスポーツ科学を学んでいる者にとっては、聞き捨てならない話です。 

 動物やそれ以外の多くの生物は、呼吸をして酸素を体内に取り込み、細胞内のミトコンドリアでATP(アデノシン三リン酸=生きるためのエネルギー源)を合成します。しかしその過程で、僅かな部分(0.1~2.0%程度、諸説あり)の酸素が不安定となり、生体内の他の分子を酸化変性させる「活性酸素種(ROS、reactive oxygen species)」になると考えられています。そしてこのROSが動物の老化や、脳血管疾患やがんをはじめとする様々な疾病の発症・悪化の原因の一つになるとされています。運動・スポーツは身体で酸素を大量に取り込んで行われるものですから、単純化すると、冒頭に示した言説のように、運動・スポーツをすればROSが増えて身体に悪影響が及ぶ、そして寿命が縮むということになります。

 しかし実際には、ROS生成に伴う酸化作用に対して、生体内には防御システムが用意されており、酵素を使ってROSを消去する抗酸化(還元)作用が働きます。また酵素以外の抗酸化物質を摂取するとROSの消去や生成抑制も可能で、ビタミンC・Eやポリフェノールなどがよく知られています。つまりROSによる酸化作用と防御システムによる抗酸化作用との平衡バランス(レドックスバランス)が保てていれば問題は生じないのですが、酸化が優位になると生体は「酸化ストレス」に曝されることになります。

 確かに酸化ストレスが過剰になることは病気のリスクを高め、疲労の蓄積やオーバートレーニングを引き起こしやすいとされており、何らかの対応が必要です。しかし酸化ストレスを完全に排除すれば良いかというと、話は複雑になります。先行研究で明らかになっているのは、酸化ストレスが異物や老廃物質の排除、細胞増殖や修復・再生の促進、降圧・抗動脈硬化作用を引き出すなど、生体機能を保護する善玉作用を発揮するということです。さらに注目すべきは、運動・スポーツを継続していくとミトコンドリアが増え、脂質代謝が改善され、全身持久力(運動パフォーマンス)が向上することなどが分かっていますが、酸化ストレスを減じようとして大量の抗酸化物質(抗酸化サプリメント等)を摂取すると、そのような適応現象が認められにくくなるという事実です。これらのことから、一定の範囲で動的にレドックスバランスが維持されていれば、我々の身体機能を健全な状態に保つことができるが、酸化ストレスが過剰(長期間)に増大したり、完全に消去されたりすると、本来身体が保有している適応能力がうまく発揮されないことになると推定されます。図に示すように運動・スポーツの影響は多様な要因(運動・スポーツの行い方、個人の体質や体調、栄養状態等)で変動することを念頭に置き、「適度な酸化ストレス」になるよう制御することが求められるのです。

 このように、ある事象を解釈しようとする時、一面的な見方をしてしまうと全体像が掴めなくなることがあります。 さらに一例を挙げます。スポーツトレーニングは身体諸機能に刺激を与え、それをより頑強なものにするために実施されると言えます。しかしトレーニング自体は筋肉や神経系を含む身体組織を消耗させ、部分的に損傷させ、一時的にパフォーマンスを低下させる行為であることは明白です。そこでトレーニングによって生体に刺激を加えた後は、十分な栄養と休養(睡眠)によって疲労状態から回復する時間を確保し、元の状態を超えたパフォーマンス改善を企図する訳です。この時、「トレーニングは身体に悪い」という理由で何もしなかったら、当然、トレーニング効果は得られません。この例のように、どこに視点を置き、眼前の事実を捉えるかで、その解釈の意味が大きく異なるものです。

 大学では卒業研究に取り組みますが、研究とは、単に知識の深化を目指すものではなく、社会の複雑な課題に対して多角的な視点を持つ訓練でもあります。運動・スポーツの捉え方が一面的であってはならないように、社会の様々場面で、多様な背景や価値観を理解し尊重することが求められています。学術研究を通じて培うことができる、柔軟な思考で全体を見通す「俯瞰力」や、異なる立場を理解して共に課題解決を行う「協働力」は、スポーツの現場だけでなく、ダイバーシティを重視する現代社会においても欠かせない資質となるでしょう。みなさん、多角的な視点を持つスポーツ科学研究に挑戦しましょう。